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生きることに責任はあるのか ――現象学的倫理学への試み――

  • 吉川孝・横地徳広・池田喬 編著
  • 四六判・308頁・並製
  • 定価 本体2,500円+税
  • ISBN 978-4-902774-86-3
  • 発行 初版第1刷 2012年9月20日 第2刷 2017年3月22日

”心のポーズボタンを解除して生きていこう!”


【編集者の推薦文掲載中!】

<編集者イチオシ!>

 『生きることに責任はあるのか』という書名は著者からの大胆な問いかけであり、その問いは、生きることを自明と捉えてきた読者の「日常的思考」をしばし「停止」させます。
冒頭の問いはさらに「いかに生きるべきなのか」「善い生き方、正しい生き方とは何か」「そもそも責任とは何か」「自己に対する責任とは」「他者に対する責任とは」「責任を果たすことで私たちはどのような社会を目指すべきなのか」というように次々とバリエーションを生み出していきます。
けれども、とまどいつつも心のポーズボタンを解除したところから、読者自身の哲学的な思索が広がっていきます。本書は「何らかの仕方で生の深淵をのぞきこんでしまった」西欧と日本の現象学者、もしくはその影響を受けた哲学者の「生の責任」をめぐる言説を解きほぐしてくれます。
モーリス・メルロ=ポンティは「哲学」を「おのれ自身の端緒がたえず更新されていく経験」と定義しました。まさに本書はそのことを読者に体験させてくれる一冊です。

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内容紹介

 生きることに責任が求められることなど、あるのだろうか。
 日々の生活に追われるなかで、思い浮かぶことのない問いであろう。しかし、この問いを私たちから投げかけうる人びとがいる。哲学者のことである。本書では、とりわけエドムント・フッサールに始まる「現象学運動」を形作った哲学者たちに、〈生と責任〉をめぐる倫理学的思考の消息をたずねた。
 その名を連ねれば、フッサールはもちろん、マックス・シェーラーやマルティン・ハイデガーである。つづいて、彼らのドイツ現象学を吸収したモーリス・メルロ=ポンティやエマニュエル・レヴィナスといったフランスの現象学者たち。これら二つの現象学から多くを学んだ日本の哲学者――西田幾太郎、田辺元、和辻哲郎、三木清、九鬼周造も…である。
 本書を読まれるみなさんに、彼らの現象学的倫理学がそれぞれに輝き、一つの星座を織りなして見えたなら、本書の執筆者一同、これ以上の喜びはない。

目次

序章 生と責任をめぐる思考の諸形 ――まえがきに代えて …横地 徳広
第Ⅰ部 西欧の現象学的倫理学
第1章 ケアする存在の自己責任 ――E・フッサールの『改造』論文における「革新」の倫理学 …吉川 孝
第2章 M・シェーラーの徳理論と現象学的経験 ――カントと現代のあいだ …宮村 悠介
第3章 責めの存在論的現象学的分析による道徳的懐疑の克服 ――M・ハイデガー『存在と時間』第二篇における議論 …池田 喬
第4章 間ロゴスと応答可能性 ――M・メルロ=ポンティ現象学による倫理学序説 …大森 史博
第5章 E・レヴィナスと場所のエティカ ――〈汝、殺すなかれ〉再考 …横地 徳広
第Ⅱ部 日本の現象学的倫理学
第6章 他者との共感 ――西田幾多郎とM・シェーラーの現象学的倫理学 …張 政遠
第7章 世界・国家・懺悔 ――田辺哲学の現象学的解釈 …吉川 孝
第8章 『構想力の論理』と三木清の実践哲学 …池田 準
第9章 和辻哲郎とM・ハイデガー ――「ポリス的人間」と「隠されたる現象」の倫理 …池田 喬
第10章 九鬼周造と〈いき〉のエティカ ――善美なる生を求めて …横地 徳広
終章 いまなぜ現象学的倫理学なのか? ――あとがきに代えて …吉川 孝