©Hirosaki Univ. & Akira Yoshino 2005

西暦 元号 弘前高等学校関連事項 その他の事項
1894年 明治27年 6月   「高等学校令」公布。第一から第五までの高等学校が設置される
1894年 明治27年 8月   日清戦争
1904年 明治37年 2月   日露戦争
1914年 大正3年 7月   第一次世界大戦
1918年 大正7年 12月   第二次「高等学校令」公布。これに基づき各地に地名を冠した高等学校が設置される
1920年 大正9年 11月 官立弘前高等学校が設置される  
1920年 大正9年 12月 鹿児島県立第一中学校長秋田實が初代校長となる  
1921年 大正10年 4月 官立弘前高等学校が開校し、仮校舎でのスタートとなる  
1922年 大正11年 4月 北溟寮開寮  
1923年 大正12年 12月 校舎等すべて竣工 関東大震災
1924年 大正13年 1月 弘前高等学校落成式が挙行される  
1925年 大正14年 3月 県立山口中学校長黒金泰信が第二代校長となる 治安維持法/普通選挙法
1925年 大正14年 6月 外国人教師館竣工  
1927年 昭和2年 7月 京都帝国大学書記官鈴木信太郎が第三代校長となる  
1928年 昭和3年 3月   共産党員一斉検挙。1926年再結党後最初の大弾圧(3.15事件)
1928年 昭和3年 6月 『弘高新聞』創刊  
1929年 昭和4年 2月 鈴木信太郎公金流用疑惑(冤罪の可能性もあり)と教官の対応に対し4日間の同盟休校。鈴木は休職  
1929年 昭和4年 2月 山口高等学校教授戸澤正保が第四代校長となる  
1930年 昭和5年 1月   高等学校校長会議が左傾化防止策を決定する 
1930年 昭和5年 3月 左翼思想により3名放校、3名退学など16名が処分される  
1931年 昭和6年 3月 共産主義活動により3名放校、諭旨退学5名、1名停学処分  
1931年 昭和6年 9月   柳条溝事件、満州事変。
1932年 昭和7年 2月 『弘高新聞』終刊  
1932年 昭和7年 6月 極左とされた弘高生31名検挙(赤太鼓事件)  
1932年 昭和7年 8月 第五高等学校教授中山文雄が第五代校長となる  
赤太鼓事件の結果、諭旨退学6名、無期停学5名など29名が処分される
1933年 昭和8年 3月   国際連盟から脱退
1933年 昭和8年 5月   京都帝国大学教授滝川幸辰に対して休職が発令される(滝川事件)
1935年 昭和10年 2月 左翼思想事件のため2名諭旨退学、5名戒飭処分  
1935年 昭和10年 4月 弘前高等学校教授安齋宏索が第六代校長となる  
1937年 昭和12年 7月   廬溝橋事件、日中戦争
1938年 昭和13年 4月   国家総動員法
1938年 昭和13年 4月 文部省督学官龍山義亮が第七代校長となる  
1939年 昭和14年 9月   第二次世界大戦
1940年 昭和15年 5月 東京帝国大学教授平泉澄の皇国史観を信奉する日本精神研究部発足  
1940年 昭和15年 9月   日独伊三国同盟
1940年 昭和15年 10月 近衛文麿の「新体制運動」(単一の国民組織を確立し、挙国体制を目指すファシズム的運動)にのっとり、寮役員選挙制度廃止、選考制となる  
『北溟寮十八年略史』刊行
1940年 昭和15年 11月 弘前高等学校報国団結成  
1941年 昭和16年 12月   太平洋戦争
1942年 昭和17年 8月   「高等学校学年短縮要項」閣議決定
1942年 昭和17年 9月 臨時学制によって修業年限が六ヶ月短縮され、第二十回生が卒業  
1943年 昭和18年 1月   高等学校令改正、18年度入学者から修業年限が2年になる
1943年 昭和18年 6月   「学都戦時動員体制確立要項」閣議決定
1943年 昭和18年 9月 第二十一回生、六ヶ月短縮卒業  
1943年 昭和18年 9月 東京都立高等学校長宇野喜代之介が第八代校長となる  
1943年 昭和18年 10月   「教育ニ関スル戦時非常措置法策」により高等学校の文科の定員削減、理科の定員増
1943年 昭和18年 10月   学徒出陣壮行大会(神宮外苑競技場)
1943年 昭和18年 11月 入営予定の文科二年生の仮卒業式、文科一年生の仮修業式  
1944年 昭和19年 3月   「決戦非常措置要項ニ基ク学徒動員実施要綱」(通年動員)
1944年 昭和19年 9月 第二十二回生、六ヶ月短縮卒業  
1944年 昭和19年 11月 図南寮開寮  
1945年 昭和20年 3月 第二十三回生、二年で卒業(昭和18年1月の「高等学校令」に基づく)  
1945年 昭和20年 7月 第二十五回生、入学式  
1945年 昭和20年 8月   ポツダム宣言受諾、日本敗戦
1945年 昭和20年 10月   GHQが「日本教育制度ニ対スル管理政策」を指令、軍国主義教育者を追放
1945年 昭和20年 11月 校長排斥などに対して、16日から26日まで同盟休校(全校ストライキ)  
浦和高等学校長安齋宏索が第九代校長となる
1946年 昭和21年 2月   「公職追放令」公布
1946年 昭和21年 2月   高等学校と大学予科の三年生が復活する
1946年 昭和21年 5月   「教職員追放令」公布、「公職追放令」とともに、この勅令によって戦争協力者が公職から追放された。このあと12月には「労働者追放令」も出された
1946年 昭和21年 9月 第二十六回生、入学式  
1946年 昭和21年 9月 敬信寮開寮  
1946年 昭和21年 10月 安齋宏索公職追放、休職。久野真吉教授が校長事務取扱を命じられ、校長職務を代行  
1947年 昭和22年 3月   教育基本法、学校教育法公布
1947年 昭和22年 4月   6・3・3・4制の学制が実施される
1947年 昭和22年 5月 元京城帝国大学教授栗原一男が第十代校長となる  
1947年 昭和22年 5月   「日本国憲法」施行
1948年 昭和23年 3月   旧制高等学校最後の入学試験
1949年 昭和24年 3月 第二十八回生、一年修了で離校(新制大学への入学資格は与えられた)  
1949年 昭和24年 5月 関戸講師辞任勧告に抗議して、16日から翌月13日まで同盟休校、放校3名など35名が処分される  
1950年 昭和25年 3月 第二十七回生卒業、全国の旧制高等学校が閉校  
1950年 昭和25年 3月 25日、弘前高等学校閉校式  
1960年 昭和35年 3月 同窓会が『弘高四十年史』刊行
1960年 昭和35年 5月 同窓会が創立40周年記念祭開催
1970年 昭和45年 10月 同窓会が創立50周年記念祭開催、『虚空に羽ばたき:弘前高等学校五十年史』刊行
1989年 昭和64年 8月 同窓会が創立70周年記念祭開催、《弘高生青春の像》設置
2000年 平成12年 4月 同窓会が創立80周年記念祭開催
2004年 平成16年 4月 弘前大学が国立大学法人となる
外国人教師館移築完成記念式典
2005年 平成17年 3月

外国人教師館が国の登録有形文化財(建造物)に答申される

(佐賀郁朗他編。アミ掛け部分は旧制弘前高等学校閉校後の事蹟)