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生きることに責任はあるのか ――現象学的倫理学への試み――

  • 吉川孝・横地徳広・池田喬 編著
  • 四六判・305頁・並製
  • 定価 本体2,500円+税
  • ISBN 978-4-902774-86-3
  • 発行 初版第1刷 2012年9月20日 第2刷 2017年3月22日

    【在庫僅少】

”心のポーズボタンを解除して生きていこう!”


【編集者の推薦文掲載中!】

<編集者イチオシ!>

 『生きることに責任はあるのか』という書名は著者からの大胆な問いかけであり、その問いは、生きることを自明と捉えてきた読者の「日常的思考」をしばし「停止」させます。
冒頭の問いはさらに「いかに生きるべきなのか」「善い生き方、正しい生き方とは何か」「そもそも責任とは何か」「自己に対する責任とは」「他者に対する責任とは」「責任を果たすことで私たちはどのような社会を目指すべきなのか」というように次々とバリエーションを生み出していきます。
けれども、とまどいつつも心のポーズボタンを解除したところから、読者自身の哲学的な思索が広がっていきます。本書は「何らかの仕方で生の深淵をのぞきこんでしまった」西欧と日本の現象学者、もしくはその影響を受けた哲学者の「生の責任」をめぐる言説を解きほぐしてくれます。
モーリス・メルロ=ポンティは「哲学」を「おのれ自身の端緒がたえず更新されていく経験」と定義しました。まさに本書はそのことを読者に体験させてくれる一冊です。

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内容紹介

 生きることに責任が求められることなど、あるのだろうか。
 日々の生活に追われるなかで、思い浮かぶことのない問いであろう。しかし、この問いを私たちから投げかけうる人びとがいる。哲学者のことである。本書では、とりわけエドムント・フッサールに始まる「現象学運動」を形作った哲学者たちに、〈生と責任〉をめぐる倫理学的思考の消息をたずねた。
 その名を連ねれば、フッサールはもちろん、マックス・シェーラーやマルティン・ハイデガーである。つづいて、彼らのドイツ現象学を吸収したモーリス・メルロ=ポンティやエマニュエル・レヴィナスといったフランスの現象学者たち。これら二つの現象学から多くを学んだ日本の哲学者――西田幾太郎、田辺元、和辻哲郎、三木清、九鬼周造も…である。
 本書を読まれるみなさんに、彼らの現象学的倫理学がそれぞれに輝き、一つの星座を織りなして見えたなら、本書の執筆者一同、これ以上の喜びはない。 

目次

序 章…生と責任をめぐる思考の諸形 ――まえがき
    に代えて(横地 徳広)
第Ⅰ部…西欧の現象学的倫理学
第1章…ケアする存在の自己責任 ――E・フッサー
    ルの『改造』論文における「革新」の倫理学
    (吉川 孝)
第2章…M・シェーラーの徳理論と現象学的経験
    ――カントと現代のあいだ (宮村 悠介) 
第3章…責めの存在論的現象学的分析による道徳的
    懐疑の克服 ――M・ハイデガー『存在と時
    間』第二篇における議論 (池田 喬)
第4章…間ロゴスと応答可能性 ――M・メルロ=ポ
    ンティ現象学による倫理学序説(大森 史博)    
第5章…E・レヴィナスと場所のエティカ ――
    〈汝、殺すなかれ〉再考(横地 徳広)
第Ⅱ部…日本の現象学的倫理学
第6章…他者との共感 ――西田幾多郎とM・シェー
    ラーの現象学的倫理学(張 政遠)
第7章…世界・国家・懺悔 ――田辺哲学の現象学的
    解釈(吉川 孝)
第8章…『構想力の論理』と三木清の実践哲学
    (池田 準)
第9章…和辻哲郎とM・ハイデガー ――「ポリス的
    人間」と「隠されたる現象」の倫理
    (池田 喬)
第10章…九鬼周造と〈いき〉のエティカ ――善美な
    る生を求めて (横地 徳広)
終 章…いまなぜ現象学的倫理学なのか? ――あと
    がきに代えて(吉川 孝)

【カテゴリー】人文科学 , 哲学・倫理・思想 , 書籍 ,