弘前大学

前立腺がん診断の精度を飛躍的に高める国産の新規診断法「S2,3PSA%検査」の保険適用について

2024.02.20

プレスリリース内容

本件のポイント

  • 弘前大学 大学院医学研究科 先進移植再生医学講座の大山 力 特任教授、泌尿器科学講座の畠山 真吾 教授と糖鎖工学講座の米山 徹 助教らの研究チームは腫瘍マーカー「前立腺特異抗原(PSA)」の糖鎖末端のシアル酸結合様式が前立腺細胞のがん化に伴って変化することを発見し、非がん型PSAをS2,6PSA、がん型PSAをS2,3PSAと命名し、前立腺がん腫瘍マーカーとして臨床応用する研究を進めました。
  • 研究チームは、富士フイルム和光純薬株式会社の協力を受け、マイクロキャピラリー電気泳動技術を利用し、血液中のS2,3PSAとS2,6PSAの濃度を定量し、S2,3PSAの割合を算出する「S2,3PSA%検査」として前立腺がんの診断補助に利用できる新規体外診断用医薬品「ミュータスワコー S2,3PSA・i50」を共同開発しました。臨床試験の結果から、S2,3PSA%検査は、従来のPSA検査で検査値4 ng/mL 以上の陽性となっても実際は前立腺がんではない偽陽性の方と真に前立腺がんである患者さんをPSA検査よりも高精度に識別できることを明らかにしました。
    この臨床試験の結果から「ミュータスワコー S2,3PSA・i50」は、2022年8月22日に厚生労働省から新規体外診断用医薬品として製造販売承認を受けました。
  • PSA検査値 4〜10 ng/mLのグレーゾーンと呼ばれるPSA低値陽性群で偽陽性率が高く、世界的な社会問題となっているPSA検査に対して、「S2,3PSA%検査」を二次血液検査として実施すれば、がんではない人が侵襲性の高い精密検査を受ける不利益を回避できると期待されます。「S2,3PSA%検査」は、2024年2月1日付けで保険適用され、国産で初めて保険適用された前立腺がん腫瘍マーカー検査として、臨床現場で使用可能となりました。今後、広く普及活動を展開し、適応拡大、海外展開を目指します。

研究の背景と目的

前立腺がんは特に欧米などで発症頻度の高いがんですが、近年日本でも前立腺がんの 罹患数、死亡数が急速に増加しています。2019年 全国がん登録 罹患数・率報告(厚生労働省健康局がん・疾病対策課)によると年間94,748人が罹患し、もっとも多い男性がんとなっています。国立がん研究センター・がん情報サービスの公開しているがん統計予測データによると2022年の前立腺がん死亡数は、年間13,300人と予測され、男性がんの6番目で、多少の変動はあるものの増加傾向にあります。米国では、死亡数の高さから社会問題になっている前立腺がんですが、1990年代の罹患数、死亡数の日米間格差は、23倍と7倍でした。しかし2018年のデータの比較では、それらがともに2倍まで差が縮まっています。今後も高齢化社会の進行に伴いさらに増加するとも予測されています。日米の人口比を考慮すると、本邦における前立腺がんに対する適切なマネージメントは、喫緊の重要な課題です。
前立腺がんは多くの場合、比較的ゆっくり進行し、手術や内分泌(ホルモン)療法など 確立された治療法も存在するため、早期に発見し、適切な治療をすれば5年生存率は、前立腺に限局するがん(ステージI,II)で100%、局所浸潤がん(ステージIII)で99.2%と良好な予後が期待できるがんです。しかし発見が遅れ、リンパ節や骨に転移したがん(ステージIV)となると5年生存率は、53.4%と著しく低下してしまうことから、早期発見が非常に重要ながんであるといえます(図1)

図1

(図1)前立腺がんの進行と5年生存率

欧米で実施された無作為化比較対照試験の結果から国家レベルで前立腺がんの死亡率を低下させるには、早期発見・適切治療が有効であることがすでに証明されていますが、より有効かつ効率の良い前立腺がん診断システムの確立には、がんの悪性度が高く即時治療が必要な「臨床的に重要な前立腺がん」の正確な診断が欠かせません。
1990年代に米国で開発されたPSA検査の導入によって非常に早期の前立腺がんまで検出が可能になった一方で、逆にがんではない方も多く陽性を示してしまうこと(偽陽性)が問題となっています。PSAは前立腺がんだけではなく、前立腺肥大症、前立腺炎のような他の前立腺疾患においても過剰に産生されることが知られています。通常、PSA検査値が4 ng/mL以上となると精密検査の受診対象となりますが、特にPSA検査値4〜10 ng/mL の「グレーゾーン」と呼ばれる領域では70%程度が実際はがんではなかったという疫学データが報告されています(図2)。

図2

(図2)PSA検査値による前立腺がん発見率

PSA検査が陽性となり、精密検査の受診を勧められた場合、経直腸前立腺触診や入院を必要とする前立腺針生検といった肉体的、精神的に苦痛を伴う検査を受診することとなり、がんが見つからなかった場合は受診者側にも医療者側また医療経済的にも不要な負担がかかります。
このような背景から、治療が必要な前立腺がん患者さんをより正確に診断できる簡便な検査法が必要とされていました。そこで、研究チームは、前立腺がん診断の精度(がん特異性)を飛躍的に高めることが可能な国産の新規診断法の開発を試みました。

研究の成果

大山 力 特任教授(弘前大学 大学院医学研究科 先進移植再生医学講座)、畠山 真吾 教授(同大学院医学研究科 泌尿器科学講座)、米山 徹 助教(同大学院医学研究科 糖鎖工学講座)らの研究チームは、PSAの糖鎖構造解析から、健常な人や前立腺肥大症などの良性疾患の患者の血清由来PSAの糖鎖末端ではシアル酸α2,6ガラクトース構造が多く、前立腺がん患者の血清由来PSAの糖鎖末端ではシアル酸α2,3ガラクトース構造が増加することを発見し、非がん型PSAをS2,6PSA、がん型PSAをS2,3PSAと命名しました。この発見から、PSAの糖鎖構造の末端シアル酸の結合様式の存在比(非がん型:S2,6PSAとがん型:S2,3PSAの割合)が前立腺がんの腫瘍マーカーとして利用できないかとの着想に至り、臨床応用を進めました(図3)。

図3

(図3)血中PSAタンパク質のがん性糖鎖変異

この知見をもとに富士フイルム和光純薬株式会社との共同研究により、S2,3PSA%検査としてマイクロキャピラリー電気泳動技術を基盤とした全自動蛍光免疫測定装置「ミュータスワコーi50」を用いた血液中のがん型S2,3PSAの割合(S2,3PSA%)を定量する体外診断用医薬品「ミュータスワコー S2,3PSA・i50」を開発しました(図4)。

図4

(図4)S2,3PSA%検査の概要

S2,3PSA%検査の多施設共同臨床性能試験のために、国内7施設において前立腺がん疑いとして受診した合計439名の患者(うち281名がPSA検査値グレーゾーン)から採取した血清検体に対してS2,3PSA%検査を実施し、現在、保険適応されている、PSA検査およびF/T比検査の前立腺がん診断精度を検査特異度(期待できる針生検回避率)および受信者動作性曲線(ROC)解析によるROC曲線下面積(AUC)値で比較しました。その結果、図5に示す通り、前立腺がんの検出に関するS2,3PSA%検査のAUC値は、PSA検査値に関係なく、本邦保険診療で使用可能なPSA検査およびF/T比のAUC値より統計的に有意に高い結果が得られ、「90%の感度を維持しながら、36〜37%の針生検回避を期待できる」との有益な結果を示しました。
また、「悪性度が高い臨床的に重要な前立腺がん」の検出に関するS2,3PSA%検査のAUC値も上記と同様に本邦保険診療で使用可能なPSA検査およびF/T比のAUC値より統計的に有意に高い結果が得られ、「90%の感度を維持しながら、39〜44%の針生検回避が期待できる」との有益な結果を示しました。悪性度が高い臨床的に重要な前立腺がんの検出特異度が優れていることから、将来的にS2,3PSA%検査は前立腺がんの悪性度診断の補助的な指針、もしくは予後マーカーとなりうる可能性も期待できます。

図5

(図5)ROC解析によるS2,3PSA%検査と既存検査の診断精度の比較

これらの試験結果から、2022年8月22日に厚生労働省から新規体外診断用医薬品として製造販売承認を受け、同年9月26日より検査試薬の販売を開始しました(図6)。

図6 S2,3PSA%製造承認から評価療養開始までの様子

記者会見後、全国の患者様から弘前大学および富士フイルム和光純薬株式会社へ、多くの問い合わせを頂き、本検査が必要とされていることがわかりました。製造承認後、富士フイルム和光純薬株式会社とともに直ちに保険収載に向けた申請手続きを進めるとともに、1日でも早く本検査を臨床現場に届けるために弘前大学医学部附属病院において評価療養制度(保険適用希望書申請後270日間有効)を利用して、本学を受診した74名の患者様へS2,3PSA%検査を実施しました。
また2023年発行の前立腺癌診療ガイドラインの診断に関するアルゴリズム(図7)にPSA検査後の補助診断検査としてS2,3PSA%検査が掲載され、その有用性について評価されております。

図7 前立腺癌診療ガイドラインにおけるS2,3PSA%検査の位置づけ

その後、保険収載に向けた審査手続きを進め、厚生労働省から2024年2月1日付けでミュータスワコー S2,3PSA・i50(保険点数 248点)にて保険適用(図8)され、臨床現場で使用可能となりました。

図8 令和6年2月収載予定の臨床検査 項目①ミュータスワコー S2,3PSA・i50

S2,3PSA%検査の適用条件は、「前立腺癌であることが強く疑われる者であって、PSA検査の結果が 4.0 ng/mL 以上 10.0 ng/mL 以下である者に対して算定できる」とされており、PSA検査でグレーゾーンであった患者様の二次検査として使用可能になっております。

まとめと今後の展開

前立腺がん診断の精度を高めることができる新たな糖鎖標的を利用した前立腺腫瘍マーカーS2,3PSA%検査を開発しました。S2,3PSA%検査は採血のみで結果が出ることから、低侵襲で簡便ながら針生検を含む精密検査の受診を要する患者の絞り込みが可能で、患者の不利益を回避しつつ、医療経済的にも優れた腫瘍マーカーとして期待されます(図9)。

図6

(図9)S2,3PSA%検査保険適用後の前立腺がん診断イメージ

この度、2024年2月1日付けで保険適用され、臨床現場で使用できるようになったことで、多くの先生方がS2,3PSA%検査を用いた様々なアイデアでのさらに研究を実施していただき、S2,3PSA%検査のパフォーマンスを臨床現場で使い切ることができるように、活躍の場が増えることを期待しています。今後、広く普及活動を展開し、本検査の適応拡大および海外展開を目指します。

本研究成果は前立腺の解剖学、生理学、病理学を専門とする医学雑誌である
The Prostate」 オンライン版 (2021年9月21日)に掲載されました。

用語解説

腫瘍マーカー検査
腫瘍マーカーとは、がんの種類によって特徴的に作られるタンパク質などの物質 です。がん細胞やがん細胞に反応した細胞によって作られ、血中や尿中に分泌されます。このタンパク質の分泌量を調べる検査を腫瘍マーカー検査と言い、がんの診断の補助や、診断後の経過や治療の効果をみることを目的に行います。がんの有無やがんがある場所は、腫瘍マーカーの値だけでは確定できないため、画像検査など、その他の検査の結果も合わせて、医師が総合的に判断します。

糖鎖
DNA、RNA(核酸)、タンパク質に続く第3の生命鎖と呼ばれる分子。
単糖 (シアル酸、ガラクトース、グルコサミン、マンノースなど)が鎖状につながったもので細胞を構成するタンパク質、脂質などに付加され、細胞の機能を調節する 役割を持つ。細胞表面にヒゲのように付加されている。

前立腺特異抗原 prostate specific antigen (PSA)
前立腺上皮細胞から前立腺腔内に分泌されるタンパク質。前立腺がんとなり前立腺組織が破壊されると血液中に漏れ出てくる。前立腺がん腫瘍マーカーとして1990年代から利用されている。血液検査によりPSA検査値が4ng/mL以上を超えると針生検などの精密検査対象となる。PSA検査値4〜10 ng/mLの範囲は、グレーゾーンと呼ばれ、偽陽性が多く問題となっている。PSAは糖鎖が付加された糖タンパク質である。

臨床的に重要な前立腺がん
組織の悪性度が高く、手術や放射線治療、ホルモン治療など、積極的な治療介入が必要な前立腺がん。

受信者動作特性曲線(ROC)解析とAUC
検査の感度と特異度の関係を視覚的に表す解析方法。ROC理論は第2次世界大戦中に、レーダーのノイズから敵機を正しく検出するために考え出された理論。縦軸を検査の「真陽性感度」とし、横軸を検査の「偽陽性率(1一特異度)」としたグラフ。曲線下面積 Area under the curve (AUC) が1.0に近づけば近づくほど検査精度が高いと評価できる。

原著論文情報

原著論文タイトル

Characteristics of α2,3-sialyl N-glycosylated PSA as a biomarker for clinically significant prostate cancer in men with elevated PSA level

掲載紙名

The Prostate

著者

米山 徹(1)、山本勇人(2)、飛澤悠葵(2)、米山美穂子(3)、畠山真吾(2,4)、成田拓磨(2)、小玉寛健(2)、百田匡毅(2)、伊藤弘之(5)、成田伸太郎(6)、対馬史泰(7)、三塚浩二(8)、米山高弘(2,9)、橋本安弘(2)、Wilhelmina Duivenvoorden(10)、Jehonathan H Pinthus(10)、掛田伸吾(7)、伊藤明宏(8)、土谷順彦(11)、羽渕友則(6)、大山 力(2,4,9)※責任著者

1)弘前大学大学院医学研究科 附属高度先進医学研究センター 糖鎖工学講座
2)弘前大学大学院医学研究科 泌尿器科学講座
3)鷹揚郷腎研究所 癌免疫細胞生物学研究部
4)弘前大学 大学院医学研究科 先進血液浄化療法学講座
5)青森労災病院 泌尿器科
6)秋田大学大学院医学系研究科 腎泌尿器科学講座
7)弘前大学大学院医学研究科 放射線診断学講座
8)東北大学大学院医学系研究科 外科病態学講座 泌尿器科学分野
9)弘前大学大学院医学研究科 先進移植再生医学講座
10)Department of Surgery, McMaster University, Hamilton, Ontario, Canada.
11)山形大学大学院医学研究科 腎泌尿器外科学講座
※上記所属は、論文出版当時の所属となります。

本研究は以下の研究費支援を受けて実施されたものです。
文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(A) 15H02563、挑戦的萌芽研究15H15579

プレスリリース

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本学お問合せ先

弘前大学大学院 医学研究科 先進移植再生医学講座 特任教授 大山 力
TEL:0172-39-5091
E-mail:coyamahirosaki-u.ac.jp