弘前大学

大正後期製作と特定できる津軽塗「手提四五重」を発見 ―漆器樹産合資会社の実態解明に新資料―

2026.04.10

プレスリリース内容

発表のポイント

弘前大学教育学部附属次世代ウェルビーイング研究センターの髙橋憲人助教が、史上初の津軽塗製造会社「漆器樹産合資会社」(1880年創業)が解散間際の大正後期に製作した「手提四五重」を発見しました。

本件の概要

「漆器樹産合資会社」は、1880(明治13)年に旧弘前藩士の山田皓蔵らによって設立された、津軽塗の近代化を担った先駆的企業です。今回発見された手提四五重は、北海道の古物商がインターネットオークションに出品していたものを髙橋助教が入手しました。髙橋助教は2025年にも、福岡県の古物商が扱っていた同社の六角重および企業広告を弘前に持ち帰るなど、同社関連資料の収集・研究を進めています。

本品の持手付台裏には、「弘前市・漆器樹産合資会社」と記された円形の水貼りラベルが残されています(添付画像参照)。水貼りラベル(再湿性接着紙を用いたラベル)は、日本では1920年代前後に実用的普及段階に入ったとされ、本品の製作年代を特定する重要な手がかりとなります。

これまで地元では、「明治末頃までに山田は篠村祐善に事業を譲り、漆器樹産合資会社は大正初期には姿を消した」とする見解が一般的でした。しかし髙橋助教が『官報』の登記情報を調査した結果、同社の最晩年の実態が明らかになりました。その結果、以下の点が確認されました。

  1. 1918(大正7)年5月17日の存立期間満了に伴う再登記時においても、山田皓蔵は出資額950円の社員であり続けていた。また、長男で中国に渡り孫文の秘書を務めた山田純三郎(当時、上海フランス租界在住)も出資額2,000円の社員として参加していた。さらに、山田の親友で初代弘前市長の菊池九郎が代表社員を務めていた。
  2. 山田は1919(大正8)年2月1日に死去するまで同社の社員であった。
  3. 同社の解散は1925(大正14)年4月8日であった。

以上を踏まえると、本品に貼付された水貼りラベルの年代と会社の存続期間が一致することから、本品の製作年代は1920年頃から1925年の間に限定されます。したがって本品は、津軽塗における商品ラベル導入期を示すとともに、大正後期の製作であることが確実に特定できる基準的作品(基準作)として重要な意義を有します。

詳細

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プレスリリースに関するお問合せ先

弘前大学教育学部附属次世代ウェルビーイング研究センター
助教 髙橋 憲人
TEL:080-1674-8911
E-mail:takahashi.khirosaki-u.ac.jp