弘前大学

【プレスリリース】地形・地質・歴史といった視点から見た津軽十二湖の再発見(農学生命科学部)

2021.07.08

本件のポイント

弘前大学農学生命科学部鄒青穎助教らのグループが、地盤の電気抵抗探査によって解析し、津軽国定公園「十二湖」の湖沼が、地すべりによる河川の堰き止めでできたことを明らかにしました。 この成果は、産学官が一体となり進めた成果であり、2021年5月25日発行の日本地すべり学会誌に発表されました。
・江戸時代中期、1704 年(宝永元年)の宝永岩舘地震によって発生した大規模崩壊性地すべりによって形成されたとされる津軽国定公園「十二湖」の青池や鶏頭場ノ池付近において、高密度電気探査を用いて地すべりの移動体地下の地盤構造を可視化しました。その結果は、調査範囲における池が、地すべりによる堰止湖としてできた可能性が高いことを裏付けています。
・本研究の新たな地学的知見は、地域の観光資源として、また地学・防災教育への活用が期待されるとともに、災害伝承にも役立つといえます。

本件の概要(内容・今後の活用)

世界自然遺産白神山地の西端に近い津軽国定公園「十二湖」にある青池や鶏頭場ノ池は、観光客など訪れる人の多い景勝地です。弘前大学農学生命科学部の鄒青穎助教と檜垣大助名誉教授、前株式会社興和の山邉康晴氏(現所属:(一財)砂防・地すべり技術センター)、花巻市博物館の小田桐(白石)睦弥氏及び深浦町役場観光課のグループは、1704年の宝永岩舘地震の際に発生した大規模地すべりで形成されたとされるこれらの池を対象に、自然環境や観光客への影響が小さく安全な調査方法である高密度電気探査を使って、地下の地盤構造を調べました。
その結果、地すべりで堆積したと考えられる高い比抵抗分布が基盤岩に対応する低い比抵抗分布域を被うような累重構造をなすことが判明しました。また、地形的にも、東側から流れ下る河川が十二湖の分布する範囲で途切れて、日本海にそそぐ河川に繋がっていないことから、2つの湖沼は、崩山から発生した地すべりが押し寄せたことで堰き止められ、元の水系が分断されて作られたものと考えられます。
今回、十二湖全体が宝永岩舘地震の際にできたものか、それ以前から存在した湖沼もあったのかを検討するため、古地図や古文書、すなわち地震前後の津軽国絵図と津軽領海岸絵図を用いて、十二湖が描かれているかを比較分析しました。しかし、十二湖は、元治元年(1864)の「津軽郡海岸“略図”西濱」には描かれているものの、地震発生前の正保年間(1644~1648)の「御郡中絵図」や元禄年間(1697~1700)の「津軽領元禄国絵図写」だけでなく、地震発生後に描かれた天保年間(1831~1845)の「天保国絵図(陸奥国津軽領)」にも十二湖が描かれていないため、湖沼群の地震前の存否は明らかになりませんでした。
一方で、地すべり土砂に埋没した樹木片の年代が宝永岩舘地震時として矛盾しないとする過去の研究成果もあり、湖沼群の形成年代の更なる検証には、池の中の枯死木や埋木の木片などの放射線炭素(14C)年代測定による検討が必要であるという点も浮き彫りになりました。
本研究結果は、津軽国定公園「十二湖」の観光や地学・防災教育及び災害の伝承などに活用することができ、観光地の魅力向上や地域の活性化に繋げることになると思われます。今後新たな史料の発見や研究の進展により、地震以前の湖沼群の存在を裏付けられることを期待したいと思います。 なお、本研究成果は、2021年5月25日(火)発行の日本地すべり学会誌に掲載されました。
■プレスリリースの詳細はこちら

左上:津軽十二湖と地すべり(国土地理院2.5万分1画像地形図に加筆) 高密度電気探査の探査測線
(A-A’)の位置を示す(鄒ら、2021に加筆修正)
右上:青池
下:高密度電気探査の調査結果(比抵抗断面図)(鄒ら、2021に加筆修正)